組合の歴史 |
昭和22年(1947) | 「東京故紙協同組合」設立 |
昭和23年(1948) | 公定価格廃止 |
昭和25年(1950) |
朝鮮動乱による特需景気 金へん・糸へん景気 |
昭和26年(1951) | 銀座8丁目に「故紙会館」建設 |
昭和27年(1952) | 特需景気が終わり不渡り手形続発 |
昭和30年(1955) |
金融事業が破綻 「故紙会館」売却処分 「東京故紙協同組合」解散、新組合へ |
昭和31年(1956) |
段ボール登場、包装材革命へ 「東京製紙原料協同組合」発足 「全国紙原連合会」設立 |
昭和35年(1960) |
尺貫法からメートル法に移行 「東京紙原協同組合」設立、金融事業の円滑化図る |
昭和37年(1962) | 古紙回収率急進 |
昭和38年(1963) |
中小企業の合理化対策 「青年部」誕生 |
昭和39年(1964) |
東京オリンピック開幕 東京オリンピック終了とともに不況へ突入 |
昭和40年(1965) |
白板紙に不況カルテル許可 「返本組合」設立 |
昭和41年(1966) | トラック運賃値上がり |
昭和42年(1967) |
122名の優良従業員表彰される 「組合広報」発刊 |
昭和43年(1968) |
故紙梱包機、法定耐用年数7年に(減価償却対応) 時間外集荷の改善対応 |
昭和44年(1969) | 「製紙原料需給安定会議」発足 |
昭和45年(1970) | 万国閉幕後古紙価格暴落へ |
昭和46年(1971) |
対ドルレート、固定から変動相場制へ移行 「組合会館建設委員会」発足 |
昭和47年(1972) |
「組合会館」起工 転廃業続出、組合員大幅減少 都のゴミ減政策に協力 |
昭和48年(1973) |
待望の「組合会館」完成 第一次オイルショック |
昭和49年(1974) | 政府、トイレットロールとちり紙の標準価格設定 |
昭和50年(1975) | 「城北支部」発足 |
昭和51年(1976) | 古紙市況、乱高下 |
昭和52年(1977) | 「全国製紙原料商工組合連合会(全原連)」発足 |
昭和53年(1978) |
円高不況 過積載取締強化 |
昭和54年(1979) |
第二次石油危機勃発 裾物三品市況(新聞37円、雑誌36円、段ボール38円) |
昭和55年(1980) |
第二次オイルショック反動厳しく ゴミ減政策により古紙回収量増加 |
昭和56年(1981) | 上質紙、コート紙、クラフト紙と不況カルテル認可 |
昭和57年(1982) |
世界同時不況 DIP向けに上物古紙使用拡大 新聞店回収スタート |
昭和59年(1984) | 過当競争防止検討 |
昭和60年(1985) | G5、蔵相会議の結果、円高一気に加速 |
昭和61年(1986) |
輸入古紙急増 メーカーの古紙在庫圧縮から古紙のゴミ化進む 活路開拓ビジョンアンケート実施 |
昭和62年(1987) |
「東京製紙原料協同組合創立40周年記念式典」開催 「組合40年史」刊行 都清掃局へ製紙原料くず(禁忌品類)処理について要望 |
昭和63年(1988) | 米国古紙事情調査団、調査報告書出来 |
平成元年(1989) |
新元号「平成」となる 古紙の逆有償回収が散見 感熱発砲紙、最悪の禁忌品としてクローズアップ 古紙発生元へ「お願い文書」配布 製本工組との「古紙問題小委員会」開催 |
平成2年(1990) |
外国人雇用問題に関する講演会開催 通産省、故紙卸売業を特定業種に指定、実態調査開始 |
平成3年(1991) |
輸入古紙問題、表面化 地球環境保全問題、クローズアップ |
平成4年(1992) |
再生資源の利用の促進に関する法律(リサイクル法) 廃棄物再生事業者登録 |
平成5年(1993) |
故紙卸売業の中小企業近代化計画承認される 通産省、古紙新規用途開拓へ 古紙市況、過去20年間の底値を割り込む |
平成6年(1994) |
円高から輸入パルプ大暴落へ パルプ物トイレットペーパーのシェア拡大、国会質疑へ 産業古紙発生業界から古紙現況についての説明要請 |
平成7年(1995) |
阪神・淡路島地域で大地震発生 「東京都リサイクル事業団体連合会」発足 「容器包装リサイクル法」成立 家庭紙メーカー見学会開催 |
平成8年(1996) |
古紙業界、廃棄物処理業界相互乗り入れ深まる 東京都、事業系廃棄物を全面有料化 発生元業界紙に業界窮状説明広告を掲載 |
平成9年(1997) |
雑誌の回収ストップ、社会問題に 古紙再生利用促進決起大会開催 「古紙利用促進シンポジウム」開催 |
平成10年(1998) |
「別上切」の品名を「漫画裁落」と名称変更 逆有償価格の道険しく廃業続出、組合員減少 「東京製紙原料協同組合創立50周年記念式典」開催 「組合50年史」刊行 |
平成11年(1999) | 東京都清掃局「東京ルール(1)」実施 |
平成12年(2000) |
廃棄物行政、東京都から特別区に移管 紙・板紙の生産・出荷が過去最高(生産3,182万t) 「共販事業委員会」発足 「コンピュータ委員会」発足 「リサイクル60計画」05年度に古紙利用率60%目標 |
平成13年(2001) |
内需低迷で紙・板紙生産大幅ダウン 古紙価格暴落、組合で製紙メーカーに対し価格復元を要望 需給調整のため古紙輸出、前年比4倍の146万t |
平成14年(2002) |
日本加工製紙が経営破綻 古紙輸出ひき続き増加、189万7千tに |
平成15年(2003) |
古紙輸出増加197万t、国内は一転して古紙不足に 杉並・太田・江東3区で抜き取り禁止を条例化 「リサイクル60計画」1年前倒しで目標達成 |
平成16年(2004) |
新潟県中越地震・猛暑・台風・集中豪雨など天災多発 中国の紙・板紙大増産で古紙輸出急増、287万5千t 日本家庭紙工業会が発足 |
平成17年(2005) | 「東京都製紙原料協同組合」に名称変更 古紙輸出5年連続で増加、371万tに 製紙連が古紙利用率の新目標、2010年度に62% |
平成18年(2006) | 王子製紙が北越製紙にTOB、失敗 社団法人東京都リサイクル事業協会が設立 古紙輸出388万6千t、新聞・雑誌で最高値続伸 |
平成19年(2007) | 石油価格の高騰が進み、製紙メーカーの決算に悪影響 大王・日本など大手メーカーで塗工紙新マシン稼動 古紙輸出量384万tと前年割れ、国内消費初の1,900万t台 |
平成20年(2008) |
北京オリンピック開催 米サブプライム問題から金融危機に。10月以降世界同時不況 古紙輸出量349万tと前年割れ、国内消費1,900万t台を維持 「東京都製紙原料協同組合創立60周年記念式典」開催 「組合60年史」刊行 |
平成21年(2009) |
北越製紙が紀州製紙を完全子会社化。「北越紀州製紙」が10月発足。 紙・板紙生産量2,627万t(前年比85.8%)。20年前の水準に戻る。 古紙消費量も1,679万tと大幅減少。回収量との差が輸出に。 輸出量491万t(同140.7%)は過去最高量。 古紙利用率62.6%。平成22年度の目標数値62%を2年連続達成。 |
平成22年(2010) |
紙・板紙生産量2,595万7千t 古紙消費量1,677万tと前年割れ。古紙回収率79.9% 利用率63.0% 『古紙持ち去り問題』根絶対策に回収車両に識別ステッカー貼付 国際紙パルプ商事と住商紙パが合併。古紙の取扱量でトップに |
平成23年(2011) |
3月11日、東日本大震災。紙パ工場が複数被災、古紙流通にも混乱 震災の影響もあり紙・板紙生産量が2,660万9千tに 古紙消費量1.694万9千t。回収率は77.9%に下落、輸出443万2千t 『古紙持ち去り問題』。製紙連が「取り扱わない」趣旨を徹底 |
平成24年(2012) |
東京スカイツリー開業 紙・板紙生産量2,595万7千t 古紙消費量1,677万tと前年割れ 古紙輸出、過去最高の492万9千tに 『古紙持ち去り問題』根絶対策に回収車両に識別ステッカー貼付 国際紙パルプ商事と住商紙パが合併。古紙の取扱量でトップに |
平成25年(2013) |
紙・板紙生産量2,624万1千t 古紙消費量1,693万4千t 古紙回収率初の80%超えで、80.4%に 古紙利用率63.9% 『古紙持ち去り問題』GPSを使った追跡調査で摘発 |
平成26年(2014) |
消費税8%スタート いわき大王製紙(福島県いわき市)、丸三製紙(福島県南相馬市) 段原紙マシン稼働 新聞購読数、出版物販売共に低落傾向が止まらず |
平成27年(2015) |
古紙回収率82% 古紙利用率64%に |