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■時の視点 |
理事長 皆川 昇
平成17年、今年も8月15日が巡ってまいりました。夏休みを返上しての、私にとり二番目に苦手な作文に取り組むのも、今年で三回目になりましたが、8月8日を経て、お国の御偉い先生方も今夏は一転、夏休みを返上しての選挙戦となり誠に大変のようです。 「この国のかたち」を示すべく、我々選挙民の先生方選びは勿論の事、当の先生方にも格段のご奮闘と一層のご活躍を、是非ともお願いするところではあります。 注目の総理の靖国参拝はどうされるのか、こちらも含めての本当に熱い戦いというところでしょうか。 難しい事は棚上げにして、本年6月に頂いた古紙センター発行の「古紙ハンドブック二〇〇四」の最後に掲載の33年間に亘るグラフを眺めながら考えてしまっています。 本文60頁の古紙の価格「3」雑誌価格の推移表によると、97年3月よりkg当り5〜6円同7月より一律5円となり、最安値のメーカー着値は98年10月〜99年8月まで11ヶ月間のkg当り4.5から5円です。 その後01年8月より02年8月までのkg当り5.5円が見受られます。 次頁掲載の色上古紙価格推移表についてみますと、97年6月にkg当り7〜11円が現れ、7月より7〜9円となり以降98年11月までの17ヶ月間、同値で推移、01年7月には最安値の7〜8円となり、以降02年8月まで14ヶ月間底値を這いました。 (グラフ等は04年12月迄の表示で数値はメーカー到着値) 残念ながら表示はありませんが、現在の色上価格は雑誌の価格と同値の店頭kg当り8円と、数値としては最安値よりまだkg当り3円ほど高値となっておりますが、雑誌と同値となったというのは、私の経験では史上初めての事と思っております。 リサイクル時代と言われるようになってから「混ぜればゴミ・分ければ資源」とは何かとよく見聞きするキャッチフレーズですが、この言葉と全く逆の現象が当業界では起こって来ました。「混ぜれば雑誌・分けても同じ」。 頭の隅に残っておりましたので、当組合の広報を繰ってみますと、今からちょうど10年前95年(平成7年)3月号に掲載された、私にとり大先輩で畏敬も致しております、辻博社長が理事再任に当り寄稿された通りの状況が現出されて来たのです。 「将来の古紙の大集荷時代に備えて」の文面中、採算の合う品目は二、三品種、品目を出来る限り少なくし効率の良い集荷体制を取らなければ生き残る道は無し・・・と。 現況は正に古紙大集荷時代の到来です。 同号には又、現在当組合の専務理事職を務めていただいている高山才亮理事が「世界遺産」の題目で寄稿をされており、流石にお二方共十年先をちゃんと見通されていたのだと、改めて感心をさせていただいている処です。昨今テレビを見ていると、やたらと世界遺産云々との報に接する気がするところです。 「古紙業のかたち」としてのモデルケース的なものでも示せたら、との熱い議論を一年間も検討して頂いた活性化委員の皆様には、本当に感謝申し上げます。誠に不本意ながらも行政府への相談の結果は、組合事業には馴染まずとのご意見を頂く事となりました。 毎度申し上げる事ながら、新世紀に入って早や5年目です。前世紀人の頭ではダメです。「古紙業のかたち」について、新しい時代を引継いでいって下さる組合員の皆様方に、更なる検討研究を是非ともお願いする今日現在です。(平成17年8月15日) |
■第19回 古紙関係協議会開催 |
平成17年7月27日(水)午後4時〜 於) 板橋製本会館会議室 出席者 東京都製紙原料協同組合 14人 東京都製本工業組合 16人 計30人(事務局2人含) 司会進行 東京都製紙原料協同組合 専務理事 高山才亮 理事長挨拶 皆川理事長(東京協組) 残念ながら、産業古紙が他の古紙と同じ価格帯になってしまった。 又、産業古紙を上手に処理してくれていた富士地区の大手製紙会社2社がなくなってしまった。 大手メーカーは、物量にものをいわせ、回収ものを一手に扱っているため、産業古紙を上手に使ってもらえない。 今から10年前、組合員増強を図り、320社になったが、現在では250弱である。「製本界」を読むと、製本業界も組合員が減っている。出版不況といわれる中、古紙発生量が少なくなると共に、私たちの組合も縮小しており残念である。 日頃、個々の取引の中で言いにくい事を、この会合の中で話し合い、情報交換をしていきたい。 城所理事長(製本工組) この協議会はすでに19回目を数える。本日はクールビズに協力していただき感謝したい。 原油価格や材料の高騰等、いろいろな問題が山積しており、それをお客様に転嫁できるか。組合そのものも利益追求型で行こう、「NOと云える勇気を持とう」というキャッチフレーズで、全国大会大阪大会に臨む覚悟である。 我々の業界も7〜8年前は1300社あったのが、現在は900社を割り込んだ。業界には大小さまざまな企業体があり、それぞれ事情が異なるが、皆様方に古紙の回収をしていただかなければ商売に支障をきたす。 この会合が双方にとって有意義になることを望んでいる。 双方業界の動向 古紙業界の動向 [1]古紙全般に関する現況(近藤副理事長) 先ほど産業古紙が非常に安くなったという話があったが、今朝の日経新聞に古紙価格のひずみという記事が載っていた。段ボール、新聞、雑誌の主要3品目の輸出が増大している。そしてその輸出価格も国内価格を上回っており、仕入れが高値で安定し、国内メーカーで販売すると赤字になってしまうという現象が流通業界で起こっている。 一方、ほとんど輸出していない産業古紙は、昨年秋からの数回にわたる値下げによって、業者が悲鳴を上げている。現在、ほんの一部を除く上物古紙のほとんどが、新聞・雑誌古紙と価格が変わらない状況である。 全般の状況という事で、昨年2004年の紙・板紙の国内消費量は3137万トンで、そのうち古紙として回収されたものは2150万トンであり、回収率は68・5%であった。今年の1月〜5月までの累計は、回収率が70・4%と昨年より約2%上昇している。これはここ数年増加している、各自治体による行政回収とオフィスから回収されるものの増加によるものと思われる。 一方、古紙の利用率については、昨年が60・4%、今年1月〜5月では59・5%と、逆に0・5%減少している。これは昨年秋から板紙メーカーが減産したことと、古紙回収率の増加分である。 昨年は、一昨年に比べ、144%という輸出増大になっている。今年に入り回収率が上がり、利用率が若干下がった事から、5月までの累計で143万トンと、昨年の5月までに比べると130%と更に今年は輸出が増加している。 この増加している輸出の品目を見てみると、全体の45%が段ボールであり、新聞・雑誌・段ボールで輸出全体の85%を占めている状況である。 今年5月までの古紙回収量は902万トン、そのうち約16%の143万トンが既に輸出されている。ちなみに昨年5月までは13%であった。 年々増加している古紙は、主に新聞・雑誌・段ボールの3品種で、今回、財団法人古紙再生促進センターでは新たにオフィスペーパーと雑がみの2品種を古紙の主要銘柄に追加した。これにより主要銘柄は29品目に増加した。 今後の古紙に関する中国の動きであるが、昨年から続々と大型マシンが開設され稼動を始めた。現在、金融引き締めにより、中国国内中小メーカーの統廃合が進んでいる。 中国政府は韓国や台湾から原紙の輸入をしていたが、それに対する課税を強化し、国内メーカーの生産を高めている。しかし生産された原紙については、包装紙や包装材として輸出品と共に海外に出てしまうので、そういう点から原料である古紙の輸入はこれからも当分の間、積極的に行なわれるだろう。 [2]産業古紙の現況(赤染直納部副部長) 産業古紙の現況について、大まかに2つに分けて説明させていただく。 1つは家庭紙業界メーカーの製品の状況。そしてもう1つはその状況によって、このところ2割程度の原料値下げがあり、それにからめての話。 去年より大きく変わったのは、パルプ物と古紙物の家庭紙メーカーの組合が、従来は全国に並立していたが、それが一つに合併した。そのトップは王子製紙が理事長となり、静岡の中小の家庭紙メーカーも参加した。 大手メーカーはフル生産に入り、価格の方もかつては60M12ロールで198円だったのが、今では178円、168円であり、それ以下もあるという非常に厳しい現況である。 5〜6月にかけて産業古紙の値段が2割程度下がった。上ケント・色上が新聞、雑誌と変わらない値段になった。それに加え、古紙ものの家庭紙メーカーは、産業古紙よりも価格的に有利なオフィスミックスにシフトしてきた。産業古紙の今後の存在意義が問われる状況になってきている。 先ほど皆川理事長の話にもあったように、産業古紙を扱う中堅メーカーが倒産したが、今後は家庭紙業界でも与信問題が出てくるのではないかと危惧している。 [3]古紙回収にかかわる現況(坂田副理事長) 上記2つの動向は、古紙問屋の立場からの話であったが、今度は集荷の観点からの問題点を説明させていただく。 ここ1年間、古紙価格は値下げ通告が続いた。大手の製紙会社が倒産するたびに値下げの発表があった。古紙価格が低い中での値下げ通告であり、組合員の利幅が無い状態が続いている。今年は例年より更に悪い状況ではないかと思う。 製本業から発生する古紙、ケント、模造、色上に代わり、家庭紙原料がオフィス古紙や込頁等にシフトしてきた。今年のゴールデンウイーク後、ケント、模造、色上が一律2円急落した。そのために、産業古紙の価格は、雑誌・新聞・段ボールと同価格になった。 この苦しい状況の中で、我々集荷業者は、大体利幅が10円位あれば何とかやっていけた。しかしほとんど10円以下になった。仕切り価格はL当たり、ケント、模造で7円、色上3円、雑誌3円、新聞7円、段ボール5円。回収古紙と産業古紙の値段が同じである。 一方、大手製本企業から、毎日トン単位で出る場合や、品質・量等により、支払い条件や価格が変わる。そして、古紙問屋の取扱品目による得手不得手によっても、価格が変わってくる。少量の古紙引取りでは、販売価格が小額なので、引取条件は厳しい。 以上が集荷業者の現況である。 製本業界の動向(小島副理事長) 6月下旬に、商業印刷製本専門委員会が開催され、全国より委員が集まって話し合いを持ったので、その時に出た話をもとに説明する。 商業印刷製本の中でも仕事内容はいろいろ分かれている。特に中綴じや折りは2月下旬から4月初めにかけて仕事があふれていた状況であった。そのような関係の企業は忙しかったようだ。しかし、伝票や軽印刷関係については、仕事量は減っている。同じ製本の中でも、仕事を変えてきている例がある。 一方、単価であるが、全国大会のスローガンに「NOと云う勇気を持とう」という副題を提示したように、単価が限界に来ているので、経営が成り立つような単価を訴える転機にきていると思う。 取引条件、いわゆる支払い条件については、あまり変わらないつまり良くなってもいないようだ。 Q&A 油矢京橋支部長(製本工組) 昨年のこの会終了後、京橋の印刷業界の方からある文書が届いた。その内容は「古紙全般について、無料で引き取ります。又、他にご相談も承ります」というようなものだった。 送り手は、清掃局と同じようなトラックに「リサイクル」と明示した業者である。その文書を取引のある原料屋さんに見せたが、わからないという事であった。その点についてお尋ねしたい。 石橋集荷部副部長(東京協組) 以前にも同じような形で無料回収をやっていた例があるが、ほとんどが破綻している。 私たちが長い間やってきた集荷の形と全く異質なもので、理解ができないが、それぞれの企業が生き残りをかけ、ビジネスチャンスとしてとらえ、異業種から参入してきている。長期的に見て営業が続けられるかはなはだ疑問である。 赤染直納部副部長(東京協組) 城南では、抜き取りが横行している。行政の委託を受けていない業者が、取り外しのきくシールをトラックに貼り付けて行なっていた例がある。 島村文京支部長(製本工組) 製本業者と古紙業者がもう少し話し合いを持ち、それぞれにメリットのあるやり方を考えたほうが良い。又、古紙業者の方から我々に提案して欲しい。そうすることで変化も生まれてくるだろう。 手前味噌になるが今現在、ホットメルトの袋、ラップの芯も、全部きれいに整理して回収してもらっている。紙に関しては99%リサイクルしており、紙粉は猫砂としてリサイクルに回している。それは自社の努力と協力してくれる業者によってできたものである。 しかし、全ての製本業者がそこまで考えていない。我々が説明してもなかなか話を聞いてもらえないので、直接携わる者同士が話をする事により、プラスになるのではないかと思う。 高山専務理事(東京協組) 実際にそういう場面になると、うちと同じくらいの規模であるあそこではいくらなのに、うちでは0円であるというような、古紙の価格についての話はよく出るようだ。 昔は上物古紙という感覚があったので、製本から出る古紙は品質がよく価格も良いはずだという意識がまだ残っていると感じる。 工藤青年部長(東京協組) 業界紙にPUR製本の事が載っていたが、その辺の事を聞いてみたい。 島村文京支部長(製本工組) PURはポリウレタン系の接着剤で、従来のホットメルトに比べ、パルパーの中で分解しないので、環境にやさしいと言われている。 印刷関連業界では、PURを含め、難細裂化ホットメルトの使用を推奨しているが、価格的に少々高い。その点が解消されればもう少し普及するであろう。 PURに関しても、その設備費と商品単価が非常に高いのがネックになっている。 藤田専務理事(製本工組) PURに関して補足すると、一番メリットのある使われ方は、長持ちする事にある。 聖書などに使われている。 脇広報部副部長(東京協組) 山手支部では大きな製本企業が地方に移転し、小さな製本企業が多くなり、1個2個を取りに来てくれという所が多い。 今話を聞いていて、もう少し積極的に話し合いをしなければならないと感じた。 城所理事長(製本工組) この協議会が始まった当初は、床下から古紙を上げるのが大変だったので、それを改善しようと話から始まり、逆有償の事等、いろいろと話し合ってきた。 どんな小さな所でも、連絡を入れれば回収に来てもらえるという事は、当組合員に伝達してある。それぞれ当事者同士が話し合いを密に持ち、良い関係を構築して欲しいと思う。 高山専務理事(東京協組) 個人情報保護法に由来して、4月以降、オフィス古紙がそのままシュレッダーにかけられて出てくる。非常にリサイクルしずらい状況である。 この後、食事を摂りながらのフリートーキングと続き、午後6時30分散会した。 |
■東京返本加工協同組合 第40回 通常総会開催 |
東京返本加工協同組合 専務理事 稲生正俊
東京返本加工協同組合(略称TOM)は8月24日16時より東京ドームホテル『初音』に於いて通常総会を開催した。 工藤理事の開会挨拶のあと司会者齋藤理事より本総会が組合員16名出席(組合員数20名、委任出席3名)にて成立している事が告げられ、藤井理事長より本年は節目の40周年に当り業績も安定してきており、蓮田センターの順調な稼動と4月より稼動を開始した所沢センターとの連携を更に積極的に行いたい旨の挨拶がありました。 議長に山中副理事長を選任後、議事に移り、平成16年度の事業報告、決算報告が行われそれぞれ満場一致にて承認決定されました。その後剰余金処分案についての審議承認のあと、平成17年度の各諸案を審議承認致しました。 来賓の出版共同流通(株)中山取締役より祝辞を頂戴し、当組合の日頃よりの協力と貢献に対する謝辞があり、併せて書籍古紙化プロジェクトの協力が要請されました。 総会終了後、場所を同所『シリウス』に移し、取次販売関係者並びに日頃より組合運営に協力を頂いている方々20数名を加え稲生専務理事の進行で懇親会をスタート致しました。日本出版販売(株)柴田副社長、皆川東京都製紙原料協同組合理事長、稲垣東京都中小企業団体中央会振興課長にご祝辞を頂戴し、出版共同流通(株)高見専務(日販・取締役)の乾杯の発声を戴ききました。 会は立食で参会者が積極的に情報交換が出来る対応で大変有意義な時間となりました。 また会の途中よりカラオケタイムに移り和気あいあいとしたなか、19時過ぎ組合員を代表して大村照雄氏の中締め挨拶、3本締めにて楽しく散会となりました。 |
■私の履歴書(その3) |
追憶…愉快だった貧乏との闘い… 東京都製紙原料協同組合 専務理事 高山才亮
昭和20年3月10日、歴史に残る東京大空襲。下谷区坂本で被災し惨々な思いをしながら命からがら逃げのびた一家5人。5人とも着の身着のままで足立区綾瀬の親父の知り合いを頼り、その6畳間にとりあえず雨露を凌ぐため間借りした。 まだ戦争中の当時は大変な食糧難、裸同然で逃げ出してきた家族は『食うや食わず』ではなく、『食えず食えず』、かぼちゃの葉っぱまで、どう料理したのか味噌汁に入っていて喉を通るときかぼちゃの葉の裏がザラッとした感触で不味かったのは忘れられない。そんな顔つきでもしようものなら母親にどやしつけられた「お腹一杯になればいいのっ……」。 いくら両親と子供3人とはいえ6畳間の5人の生活は大変だった。特に腕白盛りだった私の寝相が悪く皆の上を転げまわって寝ていると叱られたものだ。間借りさせてくれた家には2歳年上の男の子がいて、仲良く遊んだりもするけれど、腕白盛りの子供のこと、取っ組み合いの喧嘩をして、泣き出すのがいつも向こう、そのたび先方の親に遠慮している両親からこっぴどく怒られた。 その2歳上の子と運命的な出会いをするのが15〜6年も後のこと…。 田んぼや畑ばかりの綾瀬でもときたま空襲警報は鳴り響いた、灯火管制で電灯の灯りが漏れないように黒い布を周りにぶらさげ防空頭巾をかぶり解除警報が出るまで待機したが、だんだん慣れてくると艦載機の2、3機が飛んできても空襲警報が鳴るのが分かり外へ出て高射砲陣地(京成線お花茶屋あたり)から砲撃している様子を見ながら全然当たらないね、なんていいながら見物していたものだ。 親父は借家探しに毎日のように奔走していた。1ヵ月くらい経って葛飾区下千葉(現在の堀切)にある1軒屋を借りてきた。6畳1間から移るんだからその家の広く見えたこと、2坪の玄関半坪の土間と1坪半の板の間台所、4畳半と6畳6畳の和室が3間だけだが、間借り生活から開放された子供心にも鮮明に覚えている。後ろ側に10坪、玄関脇に5坪くらいの庭があり家の周りは板塀がめぐらせてあり引き戸状の門までついていた。間借り生活とは違い、なんとか一家のプライバシーが保たれる家だった。 しばらくして、3年生の終わりか4年生になった頃か、親父が玉子を産む雌鶏を手に入れてきた。「すぐ鶏小屋を作るから手伝え」まず材料探し板っ切れを集めブリキの切れ端を入手し、なんたって金が無いから買うこともできず、池に浮いている木や工事現場の余り材を貰ったりして2日がかりて作った。寸法を図ったり鋸を引いたり、釘を打ったりして作っている最中、見ていた母親が「お父さんより上手だね」と漏らしたひとこと一言で、親父はその後2度と金槌、鋸は持たなかった。ちょっとした修理では大工さんも頼めないので全部自分の仕事、学校から帰るとそんな仕事が待っていて、遊び盛りの近所の子が誘いに来ても「待ってろ」と待たせてさっさと片付けて遊びに行っていた。でも、そのお陰か小学校6年生の図工の卒業作品で、家の玄関に下駄箱が無かったので下駄箱を製作(高100B幅120B奥行40B横置5段、長靴等の縦置2段)し最優秀賞を貰った。先走りすぎたので少し戻る。 間借り生活で学校どころではなかったが、新学期は始まっている、付近の南綾瀬国民学校3年に転入した。ところが肝腎の学校の教室は、鬼畜米英(当時のマスコミ報道)の本土上陸にそなえて陸軍の兵隊の宿舎に供されていた。学校側は未疎開児童を集め近所の神社の境内で青空教室を開いた。1年生から3年生まで30人未満だったか、教科書は藁半紙にガリ版刷りの先生の手作り、雨が降ると本堂の板の間を借りた。近所にわずかに残っていた年の近い、腕白盛りと暗くなるまで外で遊びまくった、周りは田んぼや畑、小川や蓮の花の咲く大きな池があったり遊びには皆がいかんなく才能を発揮したものだ。 そうこうしているうちに3年生の夏休み、8月6日広島に原爆投下、3日後長崎も原爆被害。3月10日の焼夷弾や爆弾での東京大空襲被害と違い、ピカッードーンで何十万人が死傷。1週間後の8月15日玉音放送「無辜の民……」が流れ、ガーカーピーピーいうラジオだったが大人が解説してくれた「日本が負けた、降参した…」。神国日本に神風は吹かなかった。 ちょうどこの文章を構想中に衆議院郵政解散、郵政反対議員の党籍剥奪、選挙区に刺客を送る、野党側は小泉総理の靖国参拝を公約違反で猛攻撃。 同じ8月だが昭和20年、集団疎開から帰宅した姉を含め一家6人になった。クラスでも疎開組と居残り組の対立。今では考えられないだろうが、『産めよ、増やせよ』の時代、1クラス60人構成が学年8クラス。数は圧倒的に帰ってきた疎開組が多い。子供の世界の政治、勢力争い数頼み。教師は戦後の民主主義教育に取組んでいたが、子供の世界は権力争い番長格に服従しないと、暴力・仲間はずれ、いわゆるイジメにあう、特に貧乏な被災者で転校生のよそ者の私は目の敵にされた。またその番長格が腕っ節も強く成績も優秀で誰が見ても格好良かった。小学校卒業までその番長格と張り合い、腕力、学業(各教科ごとに3〜4課目に分かれ5段階評価)彼が4の評価3ヶ残り全部5に対し自分は音楽の1評価が4、他はオール5、タッチの差で学年トップで卒業できた、良きライバルがいてくれたお陰だと思う。 その良きライバル番長格は東京医科歯科大学卒業後、札幌で歯科医を開業したと成人になってから風の噂で聞いた。 中学では進学組と就職組とに分けられた授業が始まった。その頃には弟が1人、妹が1人生まれ、7人家族(3歳上の姉は集団疎開の頃の栄養失調が因で中学2年で病死)になっていたが日々の暮らしはあいも変わらず食べるのが精一杯。「中卒で働け…」と言う親に嘆願し、なんとか高校進学の道だけは許してもらった。が、就職組だった私は進学組を尻目に遊びほうけた。ただ試験の成績だけは一夜漬けでも進学組には負けなかつた。担任が見かねて父兄面談で大学進学を親に説得してくれたが高校進学までも反対の親が話しを聞くわけが無かった。 その後、都立蔵前工業高校に入学。世間は朝鮮戦争特需で好景気、巷にはバー・クラブ・喫茶店(うたごえ喫茶・ジャズ喫茶)・パチンコ・ダンスホール・洋画・邦画映画館ETCetcそういう盛り場、上野・浅草を通学途中に持つ不良高校生にはたまらない誘惑の地、金もないくせによく遊びまわった。遊び仲間から何人も留年・退校・放校処分者が出たが、試験の成績だけは良かったのでなんとか昭和30年卒業。卒業の年昭和30年3月には朝鮮動乱特需も終わり金の卵ともてはやされた高卒就職組も就職浪人が出たころだ。コネのあるやつは鹿島建設、大成建設へ入社したのもいたが、私は就職試験を受けて墨田区にある中堅建設会社へ入社、初任給月額6千円だった。図面も読めるし、引けたので早速現場監督見習いで助手をやらされた。監督助手など名ばかり、人手のないときは穴掘り人足から仮枠大工までやらされ、重宝がられた。 順調そうだったが1年後に会社は倒産。勿論退職金は無く、最後の月の給料も貰えずじまいだった。しかし世間は神武景気到来で人手不足の最中、16歳のとき取った普通免許が役立った。 その免許を取ったときに、ハイヤーの運転手をしていた親戚の小父さんから言われたことがワッパ回し(プロ運転手)にはなるなと言われたこと、小学生のころ大工作業を見ていた近所の年寄りが「器用貧乏というのもいるからな…」つぶやいたそのふた2こと言は今でも心に刻みこまれている。 バイト運転手の職はいくらでも有った。その頃親父は知り合いと一緒に日暮里で小さな仕切り場を始めていた。回収古紙の名称を知ったのはそのころ。 バイトしながらでも大学には行きたかった。22歳の9月なか中ごろ、夜間部の編入受験生を募集している大学を探し、東洋大学を受験しようと思ったが締め切り後、勇をふるって教学部へ電話、とりあえず来てみろと言われて行った。「この室の片隅の机を使って、一人で試験を受ける度胸があるか…」と言われ1週間の猶予を貰って英・国・数の3教科を受験。その場で採点してくれた教授は「この成績でよく受験する気になったな…」国語だけぎりぎりの合格点、英語・数学にいたっては合格点の半分も取れない惨々な成績、だがその教授の一言「やる気だけ認めよう、然し卒業まで持つかな…」粋な計らいで入学。その簿記の教授が担任、4年間で必要単位をぎりぎりでとり無事卒業、担任の教授「よく頑張ったな…」の言に報われた。その在学中24歳のとき、冒頭で記した疎開先の2歳年上の彼が訪ねてきた。 東京オリンピックを昭和39年に控えた4〜5年前のころだ。東京中が道路作りでおおわらわ大童、環七道路や戸田ボートへ行くオリンピック道路(環八の延長)で土木工事があちこちで盛んに行われていた頃。 「ダンプを買って砂利・砂の運搬をしないか、建築資材問屋の社長を紹介する」彼はもうダンプを1台買ってその仕事をしていた。興味を持ち、彼の助手席に乗って茨城県古河の先の鬼怒川の川べりでその頃『8分砂利』といわれていた砂利を積みかたがた建材問屋の社長に会った。 諸条件を聞きやる気になった。大型免許をとることから始めるので弟にまで大型免許を取得させて、東京いすゞから6トンダンプ2台を月賦で購入するのに半年近くかかったが砂利・砂運搬の仕事を始めた。 1m3単位で買ってm3で売るのだから6トン車で10トンも積めばかなり儲かる。日光街道(国道4号)を2往復もして夜中は倍近く積んで、月賦が終わるころにはかなり稼いだ。月賦が終わる頃26歳で東洋大学第2学部経済学部も無事卒業、忙しいからと卒業証書は郵送してもらった。 オリンピック向け土木工事ブームも終焉に近ずき仕上げの段階に入ると、土木建築資材卸売業も仕事量が激減。世間はカラーテレビを筆頭にオリンピック特需に沸いていた昭和39年だか、わが家では今後の経営方針を巡って親父と真っ向から対立、親子間ですさまじい、険悪な雰囲気に突入していった。母親や弟妹たちはオロオロするばかり、明治生まれの頑固な親父が切れた「親の言うことが聞けないのかっ勘当だっ…」。 全くの無一文、裸で飛び出したのが昭和42年。かみさんと長男を連れて、食うために中古の2トン貨物で仕切り場から段ボールを買ってメーカーへ運ぶいわゆる古紙代納業を始めた。 平成17年8月 食べるために始めた古紙業が現在に至るまでを書き上げようと筆を取りましたが、私の悪い癖であちこち脱線、長くなりすぎましたのでとりあえず筆を置きます。残暑も厳しく、業況も大変な折ですがご健勝をお祈りします。 |
■支部便り |
文京支部 納涼会開催 文京支部長 大柴和男
8月8日(月)、文京支部納涼会を後楽園東京ドームシテイ ラクーア2階 イタリアンレストラン マンジャマンジャにて開催いたしました。 お客様は大同生命保険(株)服部正史課長、齋藤繁子様、小川重子様、あいおい損害保険(株)代理店近藤於修社長、城北支部の乗附孝之様がご出席くださりました。 支部からは樫原様、皆川様、清水様、人見様、倉友様と大柴が夫婦でこられ、支部員と家族、従業員等総勢27名となりました。 樫原様が司会され、私の支部長挨拶のあと宍戸前支部長の乾杯のご発声で開宴となりました。 マンジャマンジャはニューヨーク50年代のセピア色を基調とした古き良き時代の雰囲気の店で、カルパッチョ、ペンネアラビアータ、四角いピザ等々を食べながら、ビール、ワイン、個々に昔飲んだ思い出のカクテルなどを飲み、時間の経つのも忘れて楽しく過ごしました。 中締めは今年理事に就任された(株)パルコムの山田祐康様にお願いし、全員で記念写真を撮って散会となりました。 (マンジャマンジャとはイタリア語で食べた、食べたという意味です。) |
城南支部 納涼会開催 城南支部長 坂田 智
7月30日(土)暑さの続く中、城南支部恒例の納涼会が、港区白金の八芳園にて63名の参加により、にぎやかに開催されました。 大同生命の服部課長さん、稲村さん、小川さん、斉藤さんの4名にも参加頂き、私の挨拶、梶野社長の乾杯により和やかに進み、1時間経過後に皆さんお待ちかねのビンゴ大会で大変盛り上がりました。 各社より従業員や家族の方もたくさん参加して下さり、いつもの仕事を一時忘れられた、すばらしい時間だったのではないでしょうか。 中締めは坂田副理事長により行なわれ散会になりました。 最後に司会の共益商会の駒井さん、お手伝い頂いた後藤商店さん、会計の船戸さん、ありがとうございました。 |
荒川支部 納涼会開催 (株)久保田商店 久保田貞行
荒川支部(藤井潔支部長)では夏の恒例の行事を8月21日(日)に開催致しました。 本年は東京湾サンセットクルーズ(ヴァンテアン号1700トン)を企画し、2ヶ月前より支部役員が準備致しました。 浜松町駅より徒歩5〜6分の竹芝桟橋に4時に集合、4時40分発の出航を待ちました。 参加者は支部員、従業員、その家族で47名の出席をいただきました。又、皆川理事長にはお忙しい中のご参加をいただき御礼申し上げます。 乗船後は出航を待たずに支部長、理事長にご挨拶を頂き、齊藤相談役の乾杯により船の一室を借り切った東京湾クルージングが始まりました。 トロピカルなフルコースに和やかな歓談、ハワイアンを聴きながらのデッキでの夕涼み、また、船からの眺めもすばらしく、あっという間の2時間でした。 当日は大変な暑さでしたが、お天気に恵まれなによりのクルーズ日よりでした。 今回の企画は皆様に大好評でしたので、又来年も楽しみにしております。 企画役員の皆様、ご苦労様でした。 |
■組合員の広場 |
平成に奥の細道を行く 西内澄江
五月三日の夜、久し振りに親子が顔を合わせた。ビールを注ぎながら、ゴールデンウィークの期間中に誰からともなく、仙台へ行きたいと話が出る。全員賛成、四日、五日の二日間に決定。 明朝七時自宅を出発、途中天王様を横に見ながら無事故を祈る。千住大橋を渡り梅田方面を快適に走る、常陸台地に入り窓外より眼にする遅咲きの山桜の若葉が、十センチばかり伸びて眼に鮮やかに映る。 つくづく日本列島の南北に長い地形がわかる。案外車が少なく、スイスイ目的地に向かう。 茨城に入る、鹿島灘に沿って青一色の田畑の中に大きな鯉幟が太い竿に繋がれて、矢車に心地よい音を響かせ真鯉と緋鯉が天高く泳いでいる。 東海村原子力研究所の横を通り、高萩を抜け阿武隈山地を左に、福島県の勿来に入る義経と弁慶の名場面、勧進帳が眼に浮かぶ。 田園風景の中マイペースを保ちながらゆっくりと走る。腰をかがめての田植え風景が珍しく眼に映る、この道を陸前浜海道と昔は名付けた。 厳冬の身を切る浜風の冷たさ厳しさに東北での一番の難所だったと言われる。 小高、原町、相馬としめやかな軒並みを通り亘理に来るとカーナビが仙台市迄五百米と知らせる、約八時間で仙台市のホテルに到着。一服してタクシーで広瀬川を通り青葉城の上で軽食をとりホテルに戻る。八時まで仮眠をとる、早速以前に来た顔馴染みのスナックバーに着く、マスターと半年振りの再会堅い握手を交わす。 さあ皆で楽しく飲んでカラオケを歌いましょう、最初に息子が「野風僧」の歌から始まる、次に娘が歌ったなかなかの歌唱力、私も吃驚慣れた歌い方はきっと夜の残業で遅く帰宅する時があるが、何処かでカラオケの勉強をしていたのだろう。 私は島倉千代子の歌を披露、鐘一つか。 最後に皆でマスターにリクエスト「川の流れのように」を熱唱、美空ひばりを彷彿させる上手さ、マスターに負けずと三人の音痴も混声大合唱・ ・ ・ ・ ・ 。 エレベーターで下まで送って呉れたマスターは別れ際に、私の背中に声を掛けた「お母さんの十八番は【矢切の渡し】ですよ」 私は振り向かずにただ、高く手をひらひらさせ答える。 街を出ると東北の外気が私のほろ酔い気分の頬を優しく撫でる。 仙台の夜は十二時を過ぎていた。 |
八月十五日以降カラ々に乾いて候 西内澄江
終戦のあの真夏日から六十年が過ぎました。八月十五日の昼十二時安城郵便局で、三十人程が雑音の入った聞き取れ難い玉音放送を耳に入れた。天皇陛下のお声を初めて聞いた。 終了後周りの人々のざわめきで、敗戦と言う言葉を知った。奇妙な雰囲気を味わった。 黙して立ち去る人、怒り悔しがる人、涙を拭き取る人、静かに人々は立ち去って静かな場内に変わった。 日本人全てが戦いに疲れた八月でした。 その夜は、電気の輝いた夜でした。今日から女性は黒めのズボンと地味な上着のスタイルにと布令が出た。私は何時ものモンペと草履スタイルで職場に向かった。 米兵が進駐してくると言う現実に心配顔で所長さんは私を見て言った、「安城は田舎ですよ進駐はして来ません、名古屋と岡崎でしょう」 それから一ヵ月程で言葉通りに、二つの市に進駐して来た。 岡崎はネオンの点滅する不夜城にまたたく間に変貌した岡崎に変わった。十月中旬頃安城の出郷村の畦道にジープを置いて、米兵が四人やって来た。 何か喚いている、農耕をしていた村人は驚き我が家に戻り、殿棒を掛けるやら鳥の囀りも止まり、其のまま動きの無い村と急変した。 米兵が大声でカムイン、カムインと怒鳴っている、私は節穴から覗いた、父が何言っているのだと聞く、 出て来いと言っている様だ。 父も節穴から見る、おとなしい米兵と察したのか、父は私の手を握って一歩外に出た、 笑顔で兵士は “カムイン 々 ”と手を振った。 その緊張感そして始めて体に硬直間を味わった私と父でした。 兵士に近づくと、兵士は“ハロー”と言った。私達はお辞儀をした、大きな手を差し出し始めて握手した、 兵士は“エッグ”と語りかけた、あの玉子だと父に言う、父は両手を丸くして見せた。 “イエス 々”と叫んだ、父は母屋に行き玉子の件を語り籠に籾殻の上に十五個程入れて持って来た、 “サンキュー” と握手しドル札を何枚か出した、ドル紙幣ではどうにも通用しない。 私がノーと言ってジープの中を見た、ブルー色した丸いビスケット缶六個と角砂糖の箱が十個、目に入った、 これとチェンジと手で交換して見せた。 分かった様だ “イエス” と笑顔でまた大きな手で握手をし、砂煙を残してジープは去った。 体の硬直が序々にとれた私と父だった。母屋の方がお礼にと半分づつを下さった、美しいブルーの丸缶にジャムが挟まれて、その美味しさ、上品さ、親子久方の笑顔である。 アメリカ文化の高さ、豊かさを知った。 母はお湯に角砂糖を入れて病人に飲ませて上げた、こんな甘さ久し振りだと病人は口にした。 八月十五日以降国民は何もかも“カラカラ”になって生き抜いて行った、 “カラカラ”が終わって豊かさが戻って来た昭和三十年頃、冷たい水にお湯で手を温めながら、私は大津美子さんの「ここに幸あり」を歌いながらおむつを洗っていた、 義理と人情の板ばさみの江戸っ子の代名詞も消えた。 多摩川で産湯を使ったのも死語ですね。 何十年経っても変わらないのは、玉子は玉子でしょうか、変わらぬスタイルで今も・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 |
畳屋富次と女房物語 西内澄江
木曜日の“菊次郎とさき”のテレビ放送を楽しみに、私には必見の時間である。 私の少女時代を彷彿とさせて呉れるから・・・・・。 長屋の角の我が家は、二間半ほどの路地があり突き当たりに六畳ほどの平地と塀があり、木戸を入ると右に玄関と六畳間、台所がついていた。大屋さんは二階に住んでいた。 腕の良い畳職人の“富次”さん、女房の“春”さんと男の子三人、女の子二人の七人家族が住んでいた。 私たち家族六人の夕食が終わる頃、何時もの調子で“富次”さんが横丁に一歩足を踏み入れるや呂律の回らない口調で「帰ってきましたよ富次さん、お春さんたら、お春さん」。 父の目配せで母は女の子二人を直ぐに連れてくる、我が家で夕食を共にするのがもう半年になる。 敷居を跨ぐ“富次”さん、決まったように始まる大喧嘩、子供二人を小脇に抱えて怒鳴る“春”さん、“富次”さんの食器を投げる音、子供の泣き声、夫婦の怒鳴り合いが続いたが、それも静かになった。 女の子を連れてそっと見に行く私に、“春”さんはそっと手を合わせる、“富次”さんはもう大の字で寝ている。 男の子三人は、夢中で食べ残した夕食を黙って口に入れている。 半年程経った朝、余りの静けさに不気味を感じた。 父が木戸を開けた畳屋一家は、何一つ残さずに、夫婦と子供五人が消え去っていた。 父が一言良い腕を持つ畳職人の “富次”さんだ、何とか生きて行けるだろう。 十日程経って口伝えに女の子二人は、芸者屋に売られたと耳にした、赤いランドセルを背負って笑顔で一緒に登校した姿を秋空に描いた私です。 |
今日、この頃(その)「今日も、また、かくて、ありなん」 前事務局長 三沢康男
そよ風に、頬をなぜつけられる。 吹く風が、季節を呼んでいる、と感じつつ、「フッ!」と我に返って微笑んだ。 それは少女の夢見る恥じらいのような「ボー!」とした、淡い恋心に似た感傷でさえあった。 和らげに、優しく包む緑のスロープのような山並みがあって、「ポツン!」と民家がある。 そこへ、綺麗な、夕日が、差し込んで、まるで一幅の絵のような、景色である。 のどかな田園風景が、おっとりとしている。 駆け足ながら、「ホッ!」とする景観に出会うと、自分が自然の、ゆったりしたリズムに包まれて、「幸せである」と誰かに伝えたいような、喜びがある。 心が落ち着いて、時がゆったりと、ひとときが流れて行く、日々の中である。 さて、どこか遠くへ行きたい、と思ったのは、若かりし頃のこと。 今日この頃は、そう思わないで、近くて気軽な日帰り旅が好きである。 現役を引退してからは、いわゆる企業ぐるみの団体旅行が無いので、本格的な旅に出かける機会が少ないのだから、それも当り前であろう。 それでも今は、年一回の大学時代の同窓会旅行へ出席するのが、ただひとつの楽しみ旅である。この旅は、やはり関西方面、なかんずく京都が多いのが嬉しい。 京都がいちばん。 なんと言っても、第二のふるさとだから。そこには、深い男女の愛情に似たものがある。 はやりの海外旅行は、何故か、まったく行きたくない。何故だろうか。色々あるが、年令(とし)のせいにしておこう。 さて、複雑多岐の日々の生活環境の中で、現在興味があるのが、雄大な自然界よりも、むしろ意外な人間関係である。 「いつ」 「どこで」 「なぜ」 「どうして」 「いかに」 といった、いわば人間関係の喜怒哀楽とも云える僅少の世界に、興味を覚えている現況である。 つまり、世俗の世間一般の出来事の中に、人間そのものの姿を発見することである。 そこには、人間の過去の歴史があり、未来への展望があるからである。 今日、この頃は、要するに、人間そのものが興味深いと思うのである。古今東西、人間には様々なロマンがあり、決して飽きさせない展開があって面白い。 色々な出会いがあって、この世の中は、結局、人間によって成り立っているからかなあ・・・・。 けれども、人間と云う奴は気ままであって、どうしようもない生き物でもある。 こんな状況の中で、どうかすると、マンネリ気味の日常生活に「活」を入れるのに適した趣味があると、救われるもんだ。 そこで、趣味と実益が合致したら、こんなに愉快で、結構で、面白い事はないだろう。 その一例が「競馬」であり、「小さな旅」であろう。 競馬は一時熱中したが、今はそれ程でもなく、少しだけやっている。完全には辞められないのだ。 勝馬投票券が的中した時の快感と、手持ち金が増えるのだから、こんないい事はないが、その逆の方が多いにきまっているだから、凝らないほうが良い。念のため・・・・・ 昔は競馬場に出かけるほど凝っていたが、最近はもっぱら電話投票でのテレビ観戦である。金額も小額で、好きな騎手、馬を買って楽しんでいる。 時々、大穴(高額配当)の馬連複を当てているが、儲かる事はめったに無い。今、流行の三連単は好きでないので買わない。だから超大穴は取れない小市民的競馬ファンである。 競馬は、血統や厩舎関係のロマン的な要素があり、複雑で難しく、推理ゲームのようなスポーツとも云えようか。 同じような範疇のギャンブルとして、競輪、オートレース、ボートレースがあるが、そこまでは手を出さず競馬一筋である。だから破滅人生にならないでいるのかも知れない。 さて、世の中の出来事は、結局男と女の組合せで成り立っているのだから、やはり、最終的な興味、関心は男女関係に落ち着いてしまうのがオチであろう。 一方、果てしないようで限りある人生の中で、続く日々の楽しみを見出すことは、日常生活の中で必要である。その楽しみの中の一つで、あの戦後間もない頃の娯楽の大スターであった「ラジオ」についてスポットを当ててみようと思う。 見直そうラジオを。 あの貧しかった何にも無かった頃の、唯一の情報、娯楽の媒介者とも云えるラジオ。 どっこい生きているラジオを大事にしたいもんだ。 野球中継も、競馬中継も、歌謡パレードも、テレビを見るのもいいが、一方、ラジオでもって楽しむことを再確認しよう。 テレビでは味わえないラジオの楽しみを見出して、再びラジオに熱中することを提案致します。 今、ラジオで特に人気のある番組は「ラジオ深夜便」(NHK第一)である。 この放送はシニア聴取者への最高のプレゼント番組である。 内容の一部に、ベテランアナウンサーによる、ゆったりとした語り口と、音楽が人気を呼び、中高年層の懐かしさへの憧れは絶大であり、特に「日本の歌、心の歌」は懐かしい青春時代を思い出させる至福のひとときでさえある。 その歌の流行っていた時代に戻してくれるからである。 いいものには何かがあるように、いい歌にも「ジィーン」とくるものがあるのは勿論である。 人生は歌から歌への旅かも知れないし、思い出の歌には、その頃の状況がついてくる。 だから、歌は、人生から人生への掛け橋かもしれない。 さて、最後に、昭和の名曲として好きな曲を上げて、今日も、かくて、ありなんと、今、生きているのを楽しみたい。 男では藤山一郎の「長崎の鐘」である。あの切々とした古関裕而作曲のメロデイーとサトウハチロウ珠玉の名詞は、他の追随を許さない。 女の歌い手では大津美子の「ここに幸あり」である。高橋掬太郎の名詞と作曲家飯田三郎は、一世一代の名曲として挙げていいだろう。 誰にも、思い出の数だけ、忘れられない歌もあると念じつつ、新しい出会いと、自然の風景に、人生の名勝負や、感動の歌に出会うのを期待します。 平成十七年七月 大暑 |
■お知らせ |
【古紙価格】 【東資協の古紙4品の標準売値】 8月8日現在(kg) ※新聞 5円(横這い) ※雑誌 3〜4円(横這い) ※段ボール 4〜5円(横這い) ※色上(並)3〜5円(横這い) |
関東商組の融通(共販)事業 平成17年9月度実施の共販価格(kg当り) ※新聞古紙 10円 プレスもの・店頭価格 ※段ボール古紙 9円50銭 プレスもの・店頭価格 |
【会議・催事予定】 9月会議・催事 9月 2日(金) 理事会(pm4〜) 組合会議室 9月16日(金) 支部長会(pm4)組合会議室 9月27日(火) 古紙センター関東地区委員会(pm2〜) センター会議室 9月28日(水) 古紙センター静岡地区委員会(11:30分〜)フジロイヤルプラザH 9月29日(木) 古紙センター業務委員会(pm1時30分〜)センター会議室 全原連役員会 (pm2時30分〜) |
【訃報】 城南支部(有)舟戸寿男商店代表者 舟戸大(ひろし)様〔享年44歳〕が平成17年6月17日(金)、旅行先で心臓発作のため逝去されました。旅行先にて密葬され、8月19日(金)、「故人を偲ぶ会」が目黒雅叙園で行われました。 謹んでお悔やみ申し上げます。 |
【事務所移転】 都市近代化事業協同組合 (新住所)東京都新宿区高田馬場2ー14ー2 原田ビル205 電話 03(5272)5090(変更なし) 平成17年8月30日より移転 |
■会議概要 平成17年7月・8月 |
●7月定例理事会 〔平成17年7月4日(月)〕 出席理事 22名 於)組合会議室 PM4〜 皆川理事長挨拶(要旨) 新年度を迎えて新しい6部体制がスタートした。 又、今年度も活性化委員会が引続き活動することになった。 各部の役員の皆様にはご苦労をお掛けすることになるが、組合の発展のためにご尽力頂きたい。 【各部報告】 直納部 6月21日に直納部委員会を開催して、各品種別の今年度の委員を選出した。 共販輸出に関して、数量的に増量できるとのことなので、余裕のある方は増量して頂きたい。 又、新規に共販輸出に参加を希望する方も歓迎する。 5月の古紙輸出量は363,325トンで、中国が買い止めをしている状況下でも、4月の記録を更新して5月として最高の数量を記録した。 裾物三品の数量が伸びているようだ。 関東商組の7月の共販輸出価格が発表になった。 ダンボール10円10銭(+50銭)、新聞11円10銭(+40銭)、雑誌9円(+60銭)で、三品種とも6月と比較して50銭前後値を戻している。 国内メーカーの7月〜12月の古紙消費見込みは、ダンボール98.5%、新聞94.6%、雑誌92.1%で、いずれも前年割れとなっている。 そのため今年後半も古紙輸出量が更に増加していくと思われる。 市況報告 [上白・特中白] 上白は、パルプの影響と思われるが、引き合いが増えてきている。 値段が上がる程のものではないが、不足気味で推移している。 特中白は、グレードの高い物が、若干納入が制限されている。 その影響で、グレードの低い物も価格が下がってきている。 [家庭紙原料] 6月24日に静岡県紙業協会家庭紙部会との懇談会が開催された。 家庭紙原料の現状について説明を行ったが、メーカー側からは市況に関する質問はほとんどなかった。 以前の静岡県家庭紙工業組合とは異なる印象を受けた。 一品ケントの在庫が増えているようだ。 大手メーカーが使用を減らしていることが原因と思われる。 [切付] 5月に特更部会が開催された際、メーカー側から在庫が多いという話を聞いた。 産業古紙の発生は相変わらず悪く、夏場にかけて発生が増えるという要因もないが、むしろ、発生の少なさは、メーカー在庫を減らすことになるのではないだろうか? [新聞・雑誌] 先程も発表があった通り、裾物三品の今年後半の消費見込みは、いずれも前年割れとなっている。 そのため国内需要の伸びは期待できないので、その分を輸出に頼るということになるだろう。 雑誌は、ミックス古紙程度のグレードの古紙が雑誌として扱われてきているようなので、それだけ荷止めも多いようだ。 [ダンボール] 5月は在庫が多いという理由で高値の修正が行われたが、7月に入り輸出価格が改善されたことにより、逆に在庫は減っていると思われる。 [返本雑誌] 4月〜5月は発生が多かったが、6月に入り発生は減ってきた。 最近は返本の中にビニール雑誌が増えてきているため、返本組合では中国へ輸出することを検討している。 UVインクの問題で、返本業界ではUVインクとはどういうものか見極められるよう努めている。 [オフィス古紙] 機密書類の発生が増えてきたと思われる。 個人情報保護法が施行された影響だろうか? 又、その関連で、発生元で細かく裁断されたものが増えているようだ。 あまり細かいと、メーカーからクレームがつくのではと懸念される。 集荷部 5月に家庭紙ケント・色上が値下がりしたことが大きく影響してきている。値下がり分を発生元に負担してもらうことができずに困惑している。 最近は競り込みの話はあまり聞かれない。 かつて高値で競りこんだ者の方が今では大変だと思われる。 広報部 広報7月号の準備を進めている。 7月中旬に発送の予定。 原稿を寄稿して頂いた方々に御礼申し上げる。 事業部 グループ保険に関して、今年度は長寿祝金を9名の方々に支給することになった。 7月25日に個人情報保護法に関するセミナーを開催する。今回の参加者は28名となった。 来年1月21日に第3回合同新年会を日暮里のホテルラングウッドで開催する予定。 青年部 今年度第1回目の幹事会を本日開催する。 今後の活動について検討する予定でいる。 又、製本工組「二世会」との交流会についても打ち合わせることになっている。 |
●業務部長・副部長会議 7月11日(月)〕 出席理事 14名 於)組合会議室 PM4〜 皆川理事長挨拶(要旨) 業務部の皆様には何時もながら組合運営についてお世話になっている。 本年度の事業も5月の総会で事業計画が承認され、これからは事業計画に則した事業運営に取組んでいただきたいと思っている。本年度が始まって間もないのに、来年度の事業についてお話するのは少し早い気もするが、来年度の事業計画(案)については大きな項目だけでも各部から挙げて頂きたいと考えているので宜しくお願いしたい。 〔組合総合名簿作成について〕 本年度の総会において役員改選が行われたが、役員が改選された年に作成している組合総合名簿について検討され、9月2日(金)の定例理事会で承認をいただいた後作業に入り、年内に新しい名簿を配布する事となった。 |
●古紙センター静岡地区委員会 〔平成17年7月15日(金)〕 17時〜 フジロイヤルプラザH会議室 センター本部から鈴木節夫専務理事、白井事務部長が出席。 【市況動向】 〔第一部会=上物古紙〕 〔上白・特中白〕 上白は関東地区ではタイプがないので、引合が結構強いと思われ、若干足りないような状況である。しかし、中部・関西では使用するメーカーが無くて、その地域では若干余り気味で推移している。 特中白は使用メーカーが無くなりつつあり、多少余剰気味。 〔模造・色上関係・ケント〕 生産の変化があり使用が減少、発生も若干落ち込んでいると思われるが、少し余り気味の状況。ケントも同様で、メーカーの使用が減っており、現状でメーカーは目一杯の在庫を持っている。しかし、8月のお盆を迎えその時期に多少とも在庫が減るという予測もつくので、今の在庫レベルを保って行くのがメーカーの考え方といえる。 〔切付〕 特更メーカーが減産傾向にあり、若干余剰気味である。 ※業者側から 〔上白・特中白〕 メーカーの使用が少なく、発生も少ないのでバランスしていると関東では見ているが、静岡でも同様と思われる。 特中白はこの地区ではメーカーの消費が少ないので、発生が増えてくるとどうしても余剰気味になってしまうのが現状である。 〔家庭紙〕 メーカー使用はさえないが、発生も余り多くないので、在庫もそれ程無いという状況である。 〔切付〕 使用も発生も少なく、バランスしている。 〔ケント〕 洋紙向けケントは発生は多くないが、使用も伸びていない。メーカーが引取っているので、業者在庫は無くなっている。 〔第二部会=新聞・雑誌〕 〔新聞〕 6月はメーカーの入荷が僅かに減少、使用が前月並みで、在庫率は若干落ちている。ただ、前年に比べると5ポイント高いので、メーカーの印象としては、ほぼバランスしていると考えている。 〔雑誌〕 梅雨ではあったが入荷は落ちていなかった。7月も同様である。 ※業者側から 〔新聞〕 関東商組32社の新聞の6月単月の前年同月比は、入荷は102.6%、出荷は104,6%。1〜6月累計は入荷が101,8%、出荷が101,5%となっている。この数字を見ると入出荷とも堅調と思われる。6月末の在庫率は11,4%で適正在庫と言えるかと思うが、4月の14.3%をピークに落ちてきている。11.4%という在庫率は昨年8月以来の低い水準。 輸出は、5月までの累計で245,000トン、前年同期比91,3%と新聞に関しては10%位減っている。これは国内メーカーさんの要求度がそれなりに強いせいではないかと思われる。 〔雑誌〕 6月単月の前年同月比は、入荷は124.2%、出荷は127.6%と非常に高いレベルにある。1〜6月累計は、入荷が111.5%、出荷が111.4%となっていて、累計でも非常に高いレベルで拮抗している。在庫率は13.3%で、適正在庫と判断している。6月入荷がこれほど前年同期比で増えたということは、行政回収の普及が更に進んでいる結果と思われる。 輸出は、5月までの累計で320,000t、前年同月比122.3%となっている。 〔第三部会=段ボール〕 6月の段ボール原紙の入荷は計画通りで順調であった。生産状況を見ると原紙の生産が102.7%、出荷が101.6%と、先ず順調であったと思われる。7月に入り梅雨の影響などで若干入荷がおちているところもあるようだが、富士地区の岳排休転もあり、月末には適正在庫になるものと思われる。 ※業者側から 関東商組32社の6月単月の前年同月比は、入荷が97.6%、出荷は97.9%。1〜6月累計は、入荷が101.5%、出荷は102.7%。6月の入出荷が前年を下回った原因は未だ不明であるが、今年に入って、前年同月を割ったのは初めてではないか。在庫率は7.7%と非常に低いレベルで、入荷が少ないと、それに見合って出荷も少ないということであろう。 1〜5月の輸出累計は648,000トン、前年同月比151.7%と“順調?に”伸びている。業者在庫は非常に低いという印象をもっている。 〔集団回収表彰について〕 市川商店から推薦の新追町町内会の表彰は7月29日の本部常任理事会で承認されたら、8月10日に市川商店で関係者に出席願って行うことになった。 |
●古紙センター 関東地区委員会 〔平成17年7月19日(火)〕 pm16時〜 古紙センター会議室 【需給動向】 〔関東商組32社実績〕 05/6月 単位トン、( )は対前年同月比、 在庫の( )は在庫率 〔新 聞〕 仕入 83,077(102.6%) 出荷 83,750(104.6%) 在庫 9,572( 11.4%) 〔雑 誌〕 仕入 62,192(124.2%) 出荷 64,720(127.6%) 在庫 8,583( 13.3%) 〔段ボール〕 仕入 129,324( 97.6%) 出荷 129,360( 97.9%) 在庫 9,929( 7.7%) 〔関東・静岡実績〕 05/6月 単位トン、 ( )は対前年同月比、 在庫の( )は在庫率 〔新 聞〕 入荷 226,361(103.6%) 消費 227,934( 97.8%) 在庫 144,855( 63.6%) 〔雑 誌〕 入荷 127,553( 98.0%) 消費 131,084(100.4%) 在庫 64,782( 49.4%) 〔段ボール〕 入荷 299,398( 98.8%) 消費 303,731( 99.9%) 在庫 108,867( 35.8%) 〔業者側コメント〕 〔新聞〕 32社の6月仕入は天候不順にもかかわらず、対前年比102.6%、集荷104.6%と順調、在庫も11.4%のランニングストックとなっている。 2月以降前年比を上回る入荷となっているが、消費も順調で暫くはこの状況が続くと思われる。 〔雑誌〕 6月の入荷は124.2%、出荷も127.6%と順調に推移しており、各自治体の資源化対策が功を奏していると思われる。需給については国内消費の伸びは見られず、輸出によりバランスしている。 〔段ボール〕 1〜6月累計入荷は758,999トン(対前年比101.4%)、 出荷は754,726トン(対前年比102.7%)と順調に推移している。5月輸出は363,000トンと過去最高であったが、段ボールは143,000トン(対前年比150%)で、1月〜5月までの輸出累計が647,000トンとなっている。 その行き先を見てみると中国が77.5%、台湾、タイが9.6%と一国に偏っているので、関東商組では7月より第二国へ500トン輸出する事になった。 台湾では5月〜8月が不需要期のようで板紙メーカーは減産体制に入っている。また、中国では、金融引き締めのためフーヤン地区の設備投資が遅れたところへの融資ストップから倒産や統合が行われている。 北の方と南とでは少し事情が違うようで、北には大きなメーカーが少ない事からか需要が結構ある。電力不足はフーヤン地区や上海地区に二つの会社が送電しているようで止まる心配は無いとの事であった。 〔メーカー側コメント〕 〔新聞・雑誌〕 入荷は98,4%、消費は99,6%、在庫が98,9%となっており、各社とも安定していて概ね順調といえる。 〔段ボール〕 6月の段原紙生産は速報では796,000トン(対前年比102,7%)、国内払出しは784,000トン(対前年比101,8%)と前年を上回った。 また6月の段ボール生産は数字がまだ出ていないが102%程度と思われる。 |
●古紙センター H17年度第4回 業務委員会 平成17年7月29日(金) pm1時30分〜 センター会議室 1.業務委員会の構成 (H17・18年度) *印は新任委員 委員長 堀川_二〔日本大昭和板紙(株)代表取締役社長〕 副委員長 大坪 清〔レンゴー(株)代表取締役社長〕 副委員長 *渡邉昭三〔王子製紙(株)代表取締役副社長〕 副委員長 星野守男〔王子古紙パルプセンター(株)代表取締役社長〕 副委員長 畑 俊一〔(株)山室 代表取締役社長〕 副委員長 栗原正雄〔栗原紙材(株)代表取締役社長〕 副委員長 矢倉義弘〔大和紙料(株)代表取締役社長〕 委 員 29名(委員の詳細は省略) 2.古紙品質規格専門委員会の構成 (H17・18年度) *印は新任委員 委員長 星野守男〔王子古紙パルプセンター(株)代表取締役社長〕 副委員長 栗原正雄〔栗原紙材(株)代表取締役社長〕 委 員 *石川喜一朗〔(株)石川マテリアル 代表取締役社長〕 委 員 上田雄健〔三弘紙業(株)代表取締役会長〕 委 員 *上原清次〔日本製紙(株)原材料本部古紙調達部長〕 委 員 大久保信隆〔(株)大久保 代表取締役社長〕 委 員 岡村光二〔王子古紙パルプセンター(株)常務取締役〕 委 員 小 修〔日本大昭和板紙(株)取締役原材料本部長〕 委 員 高嶋良昭〔レンゴー(株)取締役資材部本部長〕 委 員 瀧本義継〔(株)富澤 代表取締役社長〕 委 員 *田村博文〔北越製紙(株) 物資本部資材部原料担当部長〕 委 員 深田和利〔(株)國光 代表取締役社長〕 委 員 矢倉義弘〔大和紙料(株)代表取締役社長〕 3.全国古紙の需給・市況動向について 平成17年7月度報告は紙面の都合により省略させていただきます。 4.集団回収実施団体への感謝状交付 〔静岡地区委員会より推薦〕 新追町町内会(静岡県富士市) 5.平成17年度国庫補助対象事業の実施状況について 〔広報宣伝事業〕 (1)ペーパーリサイクル講習会 26件実施予定(詳細は省略) (2)ペーパーリサイクルフェア(緑と水の森林基金助成事業) ※平成17年9月17日(土)〜18日 広島市 広島グリーンアリーナ1階ロビー ※平成17年12月1日(木)〜4日 埼玉県上尾市 ショーサンプラザ・イトーヨーカドー上尾店催事場 〔調査研究事業〕 (1)古紙利用率向上促進対策事業(古紙の品質及び異物トラブル実態調査) 事業の内容 [1]古紙の品質及び禁忌品(異物を含む)トラブルの実態調査(案) 調査対象:製紙工場、古紙業者 [2]調査・検討項目 ※古紙に含まれる禁忌品、異物の種類と代表的な出所 ※トラブル内容とその発生場所 ※禁忌品の見分け方 ※シュレッダー古紙への対応 ※最良の除去手段 ※代表的な禁忌品、異物の見本及びトラブル見本の作製 [1]と[2]の結果を報告書にまとめる。 [3]事業の実施方法 学識経験者、古紙関連業界、地方公共団体等からなる委員会を設置する。 委員長 大江礼三郎(東京農工大名誉教授) 委 員 久保田道彦〔日本大昭和板紙(株)〕 紺野武郎〔(株)三栄サービス〕 中川好明〔日本製紙連合会〕 高木勢司(全原連) 鈴木節夫(古紙センター) 他、メーカー、業者より6名。 (2)紙リサイクルセミナー開催 日時 : 平成17年10月31日(金)13時から16時 場所 : 発明会館(港区虎ノ門2ー9ー14) 募集人員 : 300名程度 実施内容 大江礼三郎(東京農工大名誉教授)、松下敬通氏(環境経営総合研究所代表取締役)の講演及び西原弘氏、小笠原秀信氏より紙リサイクルに関する研究の調査・報告を予定。 (3)オフイス古紙リサイクル研修会開催 (平成17年度は10ヵ所開催確定) 9月以降開催は下記の予定 (開催年月日) (開催地) (出席人数) 平成17年11月 千葉市役所 100名 平成17年11月 昭島市役所市民ホール 100名 平成17年11月18日 蒲郡市役所 50名 平成18年2月 金澤市内 50名 (4)オフイスにおける古紙利用製品普及実態調査(案) 事業実施内容 [1]古紙利用製品の販売・流通調査(訪問調査) [2]事業所での古紙利用製品の使用状況及び個人情報保護法の影響調査(アンケート調査) 事業実施方法 鈴木恭治静岡大学農学部教授を委員長とする学識経験者、古紙関連業界 及び紙・紙製品の流通業界関係者からなる委員会を設置。 (5)古紙利用新規用途開拓調査事業(案) 事業実施内容 [1]国内における「紙製品以外における古紙利用製品の生産・古紙消費量」の実態調査を行う。 [2]新規用途製品について現在市場に出ている製品や新たに技術開発された製品に関して、アンケート調査を主体に調査を行い、製品の特徴や入手先を紹介するリストを作成する。 (対象品目) パルプモールド、固形燃料(RPF)、動物用敷き料、吸油材、汚水、汚泥脱水材、舗装用アスファルト助剤、セルロースファイバー、農業用マルチ(再生紙マルチ他)、古紙ボード等 事業実施方法 岡山隆之東京農工大大学院教授を委員長とする学識経験者、古紙関連業界及び紙・紙製品の流通業界関係者からなる委員会を設置。 (6)国際リサイクルシステム構築基礎調査(案) 調査内容 [1]米国古紙回収システムの変遷の整理 [2]米国主要都市の資源回収プログラムの調査・分析 [3]現地調査 [2]の調査から2都市を選び、古紙の発生(カーブサイド、事業所、集合住宅)・流通・利用について調査を行い、古紙の選別と不純物、古紙回収の課題を調査する。 [4]米国の古紙回収と古紙の国際流通を調査・分析 |
●全原連役員会 平成17年7月29日(金)午後2時30分〜 於)センター会議室 畑理事長挨拶(要旨) 梅雨明け後、台風一過で猛暑が続いている。中国の元の切り上げ2%が発表されたが、アメリカ経済の底堅さ等から円レートは112円と円安基調で推移している。国内経済も踊り場を脱して株価は11,900円に迫る勢いにあるが、政局の先行き不安定が気になるところである。 古紙の輸出市場は中国の在庫調整も終わり、円安にも助けられて上昇機運にある。仕入の過勢化に走らぬよう、夏休みを充分とってこの猛暑を乗り切って頂きたい 1.「ポスト60目標」 2010年古紙回収可能量検討会報告(7月12日開催) [1]6月28日、日本製紙連合会の「古紙利用促進検討小委員会」が開催され、全原連経営革新委員会から深田委員長と瀧本副委員長が出席した。 席上、「ポスト60目標」(古紙利用率60%達成後の取組み)について検討が行われ、8月末日まとめを目処に次のの検証を行うこととなった。 ※2004年のリサイクルバランス ※2010年の品種別古紙回収可能量 ※2010年の輸出動向 [2]これを受け、7月12日、全原連で第1回検討会を開催、2004年のリサイクルバランスについて検討した。 続いて8月中に3回(4日、22日、26日)検討会を開催し、8月末日までに答申をまとめ提出する予定。 2.全原連事務局長会議報告(7月14日、IT推進委員会と合同開催) [1]東芝情報機器より、グループウエアの活用方法の説明(詳細は省略) [2]全原連HPリンク申請時の内規改正案についての検討(8月4日開催、正副理事長会へ上程予定) [3]「古紙再資源化証明書」の番号管理方法についての説明 3.日本容器包装リサイクル協会理事会報告(6月24日開催) ※ 平成16年度事業報告書(案)並びに収支決算書(案)を承認 ※ 容リ法見直しの取組み状況、再商品化受託状況等についての報告。 4.リサイクルポート推進協議会総会報告(7月6日開催) ※ 平成16年度活動報告並びに会計決算報告。 ※ 平成17年度活動計画(案)並びに会計予算(案)の承認。 5.近代化推進事業関係報告 (1) 経営革新委員会 10月の「作業安全月間」実施に向けてポスター及びリーフレットを検討中。 (2) 需給委員会 「古紙再資源化証明書」改訂版の管理を徹底する。 (3)渉外委員会 [1]17年度事業計画として古紙リサイクルの啓蒙のための冊子「循環型社会の古紙リサイクルプラン〜世界に流通する日本の資源のために〜」(仮題)の作成を検討中。冊子は全国の地方自治体を中心に配布予定。 [2]7月27日、関東商組と関資連が「古紙流通環境情報交換会」を立ち上げた。今後、全原連&日資連ベースでの全国レベルの協議会設立を目指す。 (4)IT推進委員会 全原連HPリンク申請 大阪紙業(株)(近畿商組)→ リンク申請審査委員会にて審査、承認、役員会へ上程 → 承認。 7.【各地区報告】 〔北海道〕 4月以降順調、各メーカーもフル稼働。 小樽市、釧路市がごみ有料化。 〔東 北〕 6、7月は変化なし。高値仕入が定着。 メーカー在庫は横這い。 〔関 東〕 三品ともタイトな状況。輸出も順調で、段ボールの主要32社在庫率は5月以降7%台へ。メーカー在庫も減少。 6月度雑誌入荷は対前年比124%、出荷は同127%。 〔東京協組〕 産業古紙系は在庫減、オフイス古紙系は在庫増。出版業界の動向が良くない。 〔静 岡〕 入荷、在庫とも順調。倒産メーカーの影響はなく不安感なし。 家庭紙の製品在庫も安定。 〔中 部〕 入荷、在庫とも安定。 〔北 陸〕 7月から新聞古紙へのチラシ混入率30%を実施。 〔近 畿〕 7月は雨が多く集荷が鈍化している。雑誌古紙はメーカー在庫が不足。 輸出は順調。 〔中四国〕 大きな変化なし。土、日曜に雨が多く集荷が減っていたが、7月に入って増えてきた。岡山県で新規参入業者があり、チラシを配っている(段ボール7円、新聞5円、雑誌5円)。 香川県で抜取り行為発生。 〔九 州〕 6月はメーカー在庫増、業者の回収も増加。 輸出は順調。 長崎市で抜取り行為発生。 |
●臨時 直納部委員会 〔8月9日(火)〕 出席委員 14名 於)組合会議室 PM4〜 近藤直納部長 古紙市況は国内がパッとしない中、輸出だけが盛んに行われている状況にある。 本日は市況の情報交換の他に今年秋に海外製紙メーカーの工場見学を実施したいと思っている。 過去、マレーシアと韓国の製紙メーカー見学を2回行っているが、今年は中国、ベトナム、フィリピン、インドネシアなどが候補に上がっているが、何時頃何処にするかなどを今から決めておかないと間に合わなくなるので、急遽皆様にお集まりいただいた訳であり、皆様から積極的なご意見をお願いしたいと思っている。 需給・市況状況 〔上 白〕 発生少なくバランスしている。タイプ模造の代替使用で買い渋りがみられ、多少余剰気味か。 〔中 白〕 関東の一部メーカーが品質により値下げを発表し、弱含み。 〔家庭紙関係〕 製品市況は相変わらず泥沼状態で生産調整をかなり行っている様子。富士地区の原料在庫はメーカーさんにより多いところと、少ないところがありバラバラである。全体の需給は発生が少ないのでバランスしていると云える。 〔切付〕 発生も少ないが、メーカーさんの引きも左程良くなく、バランスしていると思う。メーカーの操業度は70%程度か。 〔段ボール〕 8月に入り発生が少なくなっている。 国内メーカーさんはフル操業中で、また、輸出価格も修正されたので先行きが心配される。 〔新聞・雑誌〕 新聞はタイトに推移すると思われる。メーカーさんは既に在庫を手当済みのところと、これから在庫を積み増していくところとがある。また、ある仙花紙メーカーさんで新聞媒体として月500トンほどテストしており、他のメーカーも使用を検討中のようである。国内と輸出を考えると新聞は当分余剰となることは考えにくい。 雑誌だが、5月以降従来のマガジン的なものの発生は衰えており、7〜8月も発生は良くないところから、大手の白板さん、段原紙メーカーさんへの入りが悪くなっている。 雑誌はオフイスから出るミックス系の雑誌(当社ではオフイス雑誌と呼んでいる)の発生が増えている。 雑誌も秋口まではタイトな状況が続くと思われる。 〔返本雑誌〕 返本組合での7月のビニール残本は137%と非常に多くなってきたので、組合でも輸出に取組んでいる。 この春に、アダルト本は小口シールを貼る事となったが、神奈川方面で小口シールから全面ビニール袋に切替える動きが出てきており、組合の懸念材料になっている。 〔オフイス古紙〕 仕入価格は大分落ち着いてきたが、個人情報保護法の影響からか、シュレッダー物が増えてきている。 |
■編集後記 |
広報部副部長 宮川 茂
今年の衆議院議員選挙は「郵政民営化」を巡って、かつてない程の盛り上がりを見せました。 「刺客」といった物騒な言葉が飛び交ったり、「ホリエモン」や「鈴木宗男」が登場したりと、話題性十分な選挙ではありました。 但し、どのような結果が出たにせよ、それが私たち庶民の生活を飛躍的に改善することになるとは考えられません。 なぜなら、私たちの日常生活において「郵政」の占める割合は決して高くないからです。 郵政民営化そのものを否定するつもりはありませんが、むしろ今回の選挙では、「増税」「年金」「雇用」「景気回復」といった私たちの日常生活にとってより切実で重要な問題こそ、最優先で問題提起されるべきだったのではないでしょうか。 今回の選挙では、争点の優先順位を誤っていなかったでしょうか。 私たちが少ない収入の中からやりくりして税金を納めているというのに、その税金を注ぎ込んで「郵政民営化」のための選挙に熱中している先生方を見ると、納税者の一人としては憤りを感じざるを得ません。 挙句の果てに、いつの間にか「サラリーマン増税」が実施されるというのですから、開いた口が塞がらない今日この頃です。 「ユー・セイ・イェス! アイ・セイ・ノー!」 これは、ビートルズの「ハロー・グッドバイ!」という名曲の一節ですが、今風の替え歌にするなら、さしづめ「郵政イェス! 税制ノー!」といったところでしょうか。 こんな替え歌でも歌って気分を紛らわせていないと、とてもやっていられませんよね。 台風シーズンを迎えて日本近海は波風が強くなり、波浪警報が出されることが増えてきましたが、「増税」「景気」といった重要課題が国会でほとんど議論されないようでは、波浪警報は日本近海だけでなく、日本国内でも発令して、先生方に注意を喚起した方が良いのではないでしょうか。 先生方には頑張っていただいて、波浪警報など出さずに済むような世の中にしてもらいたいものです。 「波浪グッドバイ!」といったところでしょうか。 おあとがよろしいようで・・・・・・ |